多田等觀在日本人的西藏認識中所起的作用

多田等觀在日本人的西藏認識中所起的作用

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頁數(shù):46頁

時間:2018-09-15

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1、碩士學位論文多田等觀在日本人的西藏認識中所起的作用王秋靜指導教師:王宗瑜副教授專業(yè)名稱:日語語言文學研究方向:日本社會文化論文提交時間:2018年4月論文答辯時間:2018年5月論文編號:2018254日本人のチベット認識における多田等観の役割四川外國語大學大學院に提出する修士學位論文日本語言語文學専攻提出者:王秋靜指導教官:王宗瑜副教授四川外國語大學2018年4月摘要明治20年代以后,日本佛教界掀起了一股“入藏”熱潮,幾個年輕有為的佛教徒把目光投向了封閉體制下的西藏。其中,

2、滯藏時間最長并獲得佛教哲學博士學位的是僧侶多田等觀。多田等觀出生于日本秋田市的一個僧侶家庭。1912年流亡印度的十三世達賴喇嘛的使者察瓦提托高僧訪問京都時,他跟隨察瓦提托學習了藏語,第二年隨其前往印度,在印度拜見了十三世達賴喇嘛,1913年從不丹進入西藏。到達西藏后經(jīng)達賴喇嘛批準加入了喇嘛教。在色拉寺修行達十年之久。等觀在西藏期間搜集了很多珍貴經(jīng)典,并于1923年帶回日本。在某種意義上,等觀進藏留學可以說是達賴喇嘛與日本西本愿寺之間建立交流關系的直接結果。從現(xiàn)有的先行研究來看,國內(nèi)的研究大多是從日本藏學的發(fā)展、能海

3、寬的中國觀以及河口慧海的西藏觀等角度出發(fā),且數(shù)量相對較少。在日本方面,很多學者從等觀的生涯角度對其進行了分析。通過對先行研究的整理、分析,筆者認為探討等觀在日本人的西藏認識中所起的作用具有一定的現(xiàn)實意義。本論文主要以等觀在西藏修行前后日本人的西藏認識為中心進行研究。即是從等觀入藏前日本人的西藏認識到等觀回國后日本人西藏認識的變化為中心來分析等觀在日本人的西藏認識中所起的作用。本論文由序章、第一章、第二章、第三章以及終章等五部分組成。序章包括對先行研究的闡述、問題的提出、研究方法、研究意義以及本論文的構成。在第一章,

4、通過分析明治和大正兩個歷史時期日本和西藏的關系,以明了明治、大正兩個歷史時期中日本人的西藏認識。在第二章,關于等觀的入藏記,試圖分析其入藏動機及入藏過程。在第三章,對于等觀的作用,從西藏留學的“學問僧”、西藏佛教的“宗教人”和西藏風俗的“證人”三個角度進行論述。在終章,總結前述內(nèi)容,論述等觀與其身邊人的關系以及提出新的研究課題。關鍵詞:日本人;西藏;認識;多田等觀;作用iii要旨明治20年代以降、日本仏教には「チベット?ブーム」が起こり、何人もの有為の仏教徒が閉鎖體制下のチベットを目指した。その中で、最長の長い年月

5、をチベットで過ごした僧侶は多田等観(1890~1967)であった。そして、等観はラマ教の最高學位であるゲシェーの稱號を得たのである。多田等観は秋田市の僧侶家庭で生まれた。明治45(1912)年インドに亡命したダライ?ラマ十三世の使者ツァワ?ティトゥーは京都を訪ねた時、彼はツァワ?ティトゥーにチベット語を習った。翌年、ツァワ?ティトゥーにつれ、インドへ向かった。インドでダライ?ラマ十三世にお目にかかった。大正2(1913)年ブータンからチベットに入った。チベットに著いたら、ダライ?ラマの許可を得てラマ教に加入した。セ

6、ラ寺で修行をするのは10年ほど長かった。等観はチベット滯在の間で多くの貴重な経典を収集し、これらを大正12(1923)年日本へ送った。ある意味では、等観はチベットへ留學に來たのはダライ?ラマと日本の西本願寺の間で交流関係を築いた直接な結果であったと言えよう。今までの先行研究から見れば、國內(nèi)では、等観に関する研究は割に數(shù)が少なく、しかも大體日本におけるチベット學の発展、能海寛の中國観と河口慧海の西蔵観という見地から発したものである。日本側では、多くの學者は等観の生涯の角度から研究を進めてきた。先行研究を詳細に分析した

7、上、日本人のチベット認識における役割から等観を再検討するのは現(xiàn)実的な意義があると筆者は思っている。本研究は主に等観のチベットでの修行前後、日本人のチベット認識を中心にする。つまり、等観は入蔵前から帰國後までの日本人のチベット認識の変化を中心として、日本人のチベット認識における等観の役割を分析しようとする。また、小論の構成は序章、第一章、第二章、第三章及び終章からなっている。序章においては、問題の提起、先行研究、研究方法と研究意義及び本論の構成が含まれる。第一章では、明治期と大正期の日本とチベットの関係を分析し、明治

8、、大正という二つ時期の日本人のチベット認識を明らかにしようと思っている。第二章では、等観の入蔵記について、入蔵の動機と入蔵の経緯を分析しivようと試みたい。第三章では、等観の役割に対して、チベット留學の「學問僧」、チベット仏教の「宗教人」とチベット風俗の「証言者」という三つの視點から述べる。終章について、前述した內(nèi)容をまとめ、等観と彼の身近な人間の関係を論じ

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