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《美しい日本の私》由會員上傳分享,免費在線閱讀,更多相關內容在行業(yè)資料-天天文庫。
1、美しい日本の私“春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり”(道元禪師)“云を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき”“山の端にわれも入りなむ月も入れ夜な夜なごとにまた友とせむ”“隈もなく澄める心の輝けば我が光とや月思ふらん”“あかあかやあかあかあかやあかあかやあかやあかあかあかあかや月”(明恵上人)「歌を詠むとも実に歌とも思はず」(西行)の趣きで素直、純真、月に話しかけるそのままの三十一文字でいわゆる「月を友とする」よりも月に親しく月を見る我が月になり、我に見られる月が我になり自然に沒入、自然と合一して
2、います。暁前の禪堂に坐って思索する僧の「澄める心」の光を有明の月は月自身の光と思ふだらうといふ風であります?!肝窑摔趣猡胜斩卧隆工胃瑜猡蓼长趣诵膜浃丹筏に激窑浃辘胃瑜趣馐埭比·欷毪椁扦ⅳ辘蓼?。云に入ったり云を出たりして禪堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ狼の吼え聲もこはいと感じさせないでくれる「月の光」よ風が身にしみないか、雪が冷たくないか。私はこれを自然、そして人間にたいするあたたかく、深い、こまやかな思ひやりの歌としてしみじみとやさしい日本人の心の歌として人に書いてあげています。雪の美しいのを見るにつ
3、け月の美しいのを見るにつけつまり四季折々の美に、自分が觸れ目覚める時実にめぐりあふ幸ひを得た時には親しい友が切に思はれ、このよろこびを共にしたいと愿ふつまり美の感動が人なつかしい思ひやりを強く誘い出すのです。この「友」は、広く「人間」ともとれませう。また「雪、月、花」といふ四季の移りの折々の美を現わす言葉は日本においては山川草木、森羅萬象、自然のすべてそして人間感情をも含めての美を現わす言葉とするのが伝統(tǒng)なのであります。そして日本の茶道も「雪月花の時、最も友を思ふ」のがその根本の心で茶會はその「感會」よい時によい友だ
4、ちが集ふよい會なのであります?!复氦匣???」この道元の歌も四季の美の歌で古來の日本人が春、夏、秋、冬に第一に愛でる自然の景物の代表をただ四つ無造作にならべただけの月并み、常套、平凡、この上ないと思へば思へ歌になっていない歌と言へば言へます?!靶我姢趣坪韦珰垽丹蟠氦匣ㄉ饯郅趣趣骨铯悉猡撙溉~”これも道元の歌と同じやうにありきたりの事柄とありふれた言葉をためらひもなく、と言うよりも、ことさらもとめて連ねて重ねるうちに日本の真髄を伝えたのであります。まして、良寛の歌は辭世です?!跋剂ⅳ挠坤喝栅俗庸─椁仁謿陇膜膜膜长稳?/p>
5、暮しつ”“風は清し月はさやけしいざ共に踴り明さむ老いの名殘に”“世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり游びぞ我はまされる”これらの歌のような心と暮らし草の庵に住み、農夫と語り、信教と文學との深さをむづかしい話にはしないで「和顏愛語」の無垢な言行とししかも、詩歌と書風と共に、江戸后期十八世紀の終りから十九世紀の始め日本の近世の俗習を超脫古代の高雅に通達して現代の日本でもその書と詩歌をはなはだ貴ばれている良寛その人の辭世が自分には形見に殘すものはなにも持たぬしなにも殘せるとは思はぬが自分の死后も自然はなほ美しいこれがただ
6、自分のこの世に殘す形見になつてくれるだらうといふ歌であったのです。日本古來の心情がこもっているとともに良寛の宗教の心も聞こえる歌です。“いついつと待ちにし人は來りけり今は相見てなにか思はん”このような愛の歌も良寛にはあって私の好きな歌ですが老衰の加わった六十八歳の良寛は二十九歳の若い尼、貞心とめぐりあってうるはしい愛にめぐまれます。永遠の女性にめぐりあへたよろこびの歌とも待ちわびた愛人が來てくれたよろこびの歌とも取れます?!附瘠舷嘁姢皮胜摔激悉蟆工刂堡藴氦沥皮い蓼埂6U宗には偶像崇拝はありません。禪寺にも仏像はあり
7、ますけれど修行の場、坐禪して思案する堂には仏像、仏畫はなく、経文の備へもなく瞑想して、長い時間、無言、不動で坐っているのです。そして、無念無想の境に入るのです?!肝摇工颏胜筏啤笩o」になるのです。この「無」は西洋風の虛無ではなくむしろその逆で萬有が自在に通ふ空、無涯無辺、無盡蔵の心なのです?!皢枻丐醒预諉枻悉亭醒预悉踢_磨どの心の內になにかあるべき”“心とはいかなるものを言ふならん墨絵に書きし松風の音”(一休禪師)これは東洋畫の精神でもあります。東洋畫の空間、余白、省筆もこの墨絵の心でありましょう?!敢姢氦洹⒅瘠温暏说?/p>
8、を悟り、桃の花に心を明るむ」(道元禪師)「ただ小水尺樹をもって、江山數程の勝機を現わし暫時傾刻のあひだに、千変萬化の佳興をもよほす。あたかも仙家の妙術と言ひつべし」(池坊専応)西洋の庭園が多くは均整に造られるのにくらべて日本の庭園はたいてい不均整に造られますが不均整は均整よりも、多くのもの、広いものを象徴出來るからでありませう。勿論その不均整は