異文化コミュニケーション教育(異文化教育) の原點としての「我々」 と「彼等」 のコミュニケーション問題(12)

異文化コミュニケーション教育(異文化教育) の原點としての「我々」 と「彼等」 のコミュニケーション問題(12)

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1、安田女子大學(xué)紀(jì)要 38,75-89 2010.異文化コミュニケーション教育(異文化教育)の原點としての「我々」と「彼等」のコミュニケーション問題(12)―異文化コミュニケーション教育における「幸?!梗?)―青  木  順  子HappinessinInterculturalCommunicationEducation(3)JunkoAoki 幸福という考えを扱う時,個人の幸福感という主観的な感情の充足と,そこに存在する大多數(shù)の個人の多種多様な幸福が実現(xiàn)するような,社會全體として見た時の幸福感の存在,すなわち,幸福なる社會の実現(xiàn),そして,その範(fàn)囲をさらに広げ,「異なる人々」の屬する社會にお

2、ける幸福の実現(xiàn),という観點を,どのようにお互いに関わらせて扱うのかという問いが,「異文化コミュニケーション」の「教育」という性質(zhì)から,必然的に出てくる。異文化間の幸福の実現(xiàn)は,異文化コミュニケーション教育が,「教育」として,教育を受ける者の自己実現(xiàn)の達(dá)成を手助けする限りにおいて,その目的の一つから外すことは出來ない。この問いとの関係で,これまでに,個1)2)人の幸福の実現(xiàn)について論じてきたが,前論考では,主に幸福なる社會と個人の幸福の選択との関わりについて考察し,以下のように結(jié)論した。社會で不條理に幸福を妨げられている人々の數(shù)が最小であるように努力する個人の行為が最大限なされる社會が,目

3、指すべき「幸福なる社會」である。そこでは,「善き人の善き行為」が社會の営みの中で妨げられることなく自然に為され,大きな成果をあげていき,善き人が悲劇的な最期を迎えることなく,善き人を助ける人がその代償として喪失するものもないだろう。そうした社會の実現(xiàn)には,個々人が,自らの生を「よく?生きる」過程で,不條理な理由で幸福になることを妨げられた人々の數(shù)を絶えず減らしていくことを目指すことが必要とされており,當(dāng)然,その過程で,「よく?生きる」ことで「幸?!工虻盲毪长趣扦毪坤恧Δ??!·筏罚瑢g際には,異なる人々の國家や異なる民族の住む地域からなる世界では,「幸福なる社會のための選択」ということ

4、に限っても互いに対立してしまうような選択肢も多々あり,現(xiàn)実の選択においては,人は往々にして自分とは異なる者達(dá)の幸福の実現(xiàn)を犠牲にしているという事実が存在する。幸福を選択する側(cè)にとっては,そうした異なる者達(dá)は,身近な,自然に共感を重1)青木順子 「異文化コミュニケーション教育(異文化教育)の原點としての『我々』と『彼等』のコミュニケーション問題(10)?異文化コミュニケーション教育における『幸福』(1)?」安田女子大學(xué)紀(jì)要No.36,pp.57-69,2008.2)青木順子 「異文化コミュニケーション教育(異文化教育)の原點としての『我々』と『彼等』のコミュニケーション問題(11)?異文化

5、コミュニケーション教育における『幸?!唬?)?」安田女子大學(xué)紀(jì)要No.36,pp.57-69,2009.76青  木  順  子ねやすい対象でもなく,まして愛する対象でもないのであるから,選択はその個人にさほど苦痛や葛藤をもたらすものでもなく,難しくもないのである。そうした狀況において,異なる人々の幸福なる社會の関わりをどのように考えていくべきなのかについて,本論考で,引き続き考察をすすめていきたい。⒈ 「幸福なる社會へ去る」という選択3) 2006年,トルコ出身では始めてのノーベル賞作家となったオルハン?パムクの『雪』は,2001年9月11日の同時多発テロ前に完成し,直後の2002年初

6、頭に刊行され,英訳本は,米國,英國,オランダでベストセラーとなった。物語の大筋は以下のようなものである。主人公の詩人Kaは,母親の葬式に出るために,12年間に及ぶ亡命地ドイツからイスタンブールに戻ってくる。かつての學(xué)生運動の仲間で,今は離婚をして獨り身の舊知のイペッキとの再會に,自分のこれからの幸福の望みをかけて,彼はさらに,トルコの國境の町カルスに向かう。西洋化,近代化,イスラム原理主義,政教分離主義,人々の異なる立場が激しく衝突しあう社會で幸福など手に入れることはできないと,吹雪のカルスでの3日間,政治的なことから遠(yuǎn)ざかり,自分のこれからの幸福だけをただ求め,最初から,故郷を去りイペ

7、ッキとドイツへ戻ることだけを望んでいる。そんなKaと,イスラム原理主義者の指導(dǎo)者で,危険なテロリストとされて地下に潛っているBlueとの會話である。“Andhowdoyoudefinehappiness?”“Happinessisfindinganotherworldtolivein,aworldwhereyouforgetallthispovertyandtyranny.Happinessisholdingsomeoneinyou

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