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《cipangu ri-ben-guo,orient of marco polo4》由會(huì)員上傳分享,免費(fèi)在線閱讀,更多相關(guān)內(nèi)容在學(xué)術(shù)論文-天天文庫。
1、國際研究論叢 24(3):107?130,2011研究ノートジパング 日本國――マルコ?ポーロの東方(4)――高 田 英 樹?ipanguRi-ben-guo―OrientofMarcoPolo(4)―HidekiTakataキーワードマルコ?ポーロ、ジパング、ルスティケッロ?ダ?ピーサはじめに その記事は、帰路の部最初の「インディエ海の船」の章(Ch.159)の後、インドへ向かう前にさらに東の大洋上にある島のことを語っておこうとして、3章にわたってある。始めの2章は日本では元寇として知られるその遠(yuǎn)征のこと
2、で、泉州からの出帆と大風(fēng)による難破の前半(Ch.160)と、島に取り殘された兵たちのその後の顛末を語る後半(Ch.161)とに分かれる。最後の1章(Ch.162)は、カタイ?マンジとも共通する偶像および偶像崇拝者についてのまとめと、その地域の海(チン海)の説明からなる。これらは、日本の存在を明確にヨーロッパに知らせた最初となるとともに、後に世界史をも動(dòng)かすものとなったことは周知であろう。が、そのテクストは內(nèi)容の正と誤、情報(bào)の精と粗と合わせて、1FとZ?Rの異同といういつもながらの問題を抱える。(F?Zの現(xiàn)寫
3、本からの転記とRの2原文およびそれらの和訳は、Ch.160については前稿に掲げたので省略する。太字は、三版相互の異なり部分を示す。)1.Ch.160:ジパング遠(yuǎn)征(前半) 「ジパングは東の方の島で、陸から沖合いに1,500マイル離れている。とても大きい島である。人々は色白く、禮儀よく、美しい。偶像崇拝で、獨(dú)立しており、自分たち自身の以外に他の誰の支配ももたない」(F)と始まる。「1,500マイル」(約2,400km)は、泉州から九州までの直線距離にほぼ相當(dāng)する。「禮儀よく」は、禮節(jié)の國という唐宋以來の日本観
4、3を反映したものであろう。『元史』にも「日本は素より禮を知るの國と號す」とある。もっともすぐ続いて、「その國と上下の分未だ定まらず、禮數(shù)の言うべきものなし」とあるが。他の情報(bào)もさほど外れていない。ところが、それに続く話は誇大なものであった。*たかた ひでき:大阪國際大學(xué)人間科學(xué)部非常勤講師〈2010.12.10受理〉107國際研究論叢 島には莫大な金がある。F「君主の宮殿は屋根が純金で葺かれ、數(shù)多ある部屋の床(R:天井)も全て指二本よりも分厚い黃金が敷かれ、広間や窓も金で飾られている」。金の話は全編欠くこと
5、なく多いが、確かにここジパングの黃金が際立つ。黃金島ジパング伝説の成立である。貿(mào)易で決済に使われる金銀や留學(xué)僧たちが攜えてくる豊富な生活資金、また4佐渡の金山や平泉の金色堂、等に起因する産金國日本のイメージに基づいたものとされるが、その上に現(xiàn)実に建物のこと、とりわけ城郭の金色に輝く鬼瓦や飾り瓦、部屋に敷き詰められた金糸の畳の縁、金箔や金銀の襖?屏風(fēng)や蒔絵のことが、現(xiàn)地の人々の間では誤ってあるいは冗談めかして大仰に噂されていたのであろう。石材を基本とする中國の宮殿はいずれもそれらを持たないし、?指二本分の黃金
6、の床?というのは、厚さも色も畳そのものである。驚異に耳ざといこの作者がそれを聞き逃すはずはなかった。また、赤い真珠(赤玉?珊瑚)やその他の貴石もいっぱいあると言う?!?50年後にジェノヴァの航海士の目を引いたのもこの情報(bào)であった。フィレンツェの天體學(xué)者トスカネッリの計(jì)算に基づいて地球の円周を小さく見積もったコロンブスは、ポルトガルから西へと航海すればカタイに至ることができると計(jì)算し、その途中必ずジパングに遭遇すると読んだ。大陸から商人も誰も渡らないという情報(bào)も、大いに彼の欲望を駆り立てたことであろう。もっと
7、もこれは事実に反し、日本との交易は宋代ほどではなかったが、元になってからも続いていた。泉州の福建路市舶司趙汝適『諸蠻志』(1225年)の?倭國?の項(xiàng)には、日本人は大きな船で泉州にやってきて交易するが、「泉州の人で倭國5にいったものはいない」とあるところからすると、対日貿(mào)易は寧波が主であったため、泉州ではそのように誤解されていたものか?!·ⅴ偿恁螗芝工摔舷冗_(dá)がいた。グラン?カン?フビライである。彼もこの黃金のことは聞き知っていたであろうし、しかも僅か1,500マイル、手の屆く距離にある。しかし、フビライの目
8、的は征服にあった。モンゴルは、世界征服というチンギス以來の目標(biāo)をまだ捨てていなかった。が、この筆者は彼の目的をその島の莫大な富を奪うためとし、実際は失敗したその遠(yuǎn)征を、以下のような半ば成功の物語に仕立て上げる?!·饯长钎哎楗?カンは、「アバタンとヴォンサニチン」という二人の武將に大軍をつけて派遣する。ザイトンとキンサイから出港した彼らは島に著いて上陸し、多くの平地や集落は奪ったが、都市はひとつも征服できなかった。