資源描述:
《zaiton chuan-chou,orient of marco polo1》由會(huì)員上傳分享,免費(fèi)在線閱讀,更多相關(guān)內(nèi)容在學(xué)術(shù)論文-天天文庫。
1、國際研究論叢 23(2):133~152,2010研究ノートザイトン 泉州――マルコ?ポーロの東方(1)――*高 田 英 樹ZaitonChuan-chou―OrientofMarcoPolo(1)―HidekiTakataキーワードマルコ?ポーロ、ザイトン、泉州、磁器0.はじめに マルコ?ポーロの書によって西方ヨーロッパに初めて伝えられた東方アジアの事?物?人は數(shù)多い。といわんよりは、モンゴルの砂漠から北京の大都、紙幣や駅伝システム、グランカン?フビライからセルガモニ?ボルカン仏陀まで、全編がそうであ
2、ったといってもさほど間違ってはいない。その中には、後の世界の歴史に跡を殘したものも少なくない。その最たるものが、コロンブスをしてイベリア半島から西への航海に向かわせ、アメリカ大陸を「発見」せしめたジパングであったことは広く知られる。ジパングは同書では帰路の旅の最初におかれているのであるが、その出帆の港となったザイトン泉州においても歴史に殘る記事が見える。一つは磁器、もう一つは船の隔壁構(gòu)造である?!·工螭郎魏瘠埭盲皮辘趣筏寇洡ぬ掌鳏藢潳筏啤驻xく薄く硬い磁器が新たな東洋の寶石として西方でいかに求め
3、られたか、18世紀(jì)始めマイセンでようやく生産されるに至るまでいかなる努力がなされたか、今なおどれほど高い評価を得ているか、これまた周知であろう。そうした意味では磁器は、ジパングに劣らぬ否時(shí)間的にははるかに長い數(shù)百年の年月をかけて西方がようやく獲得したモノであった。そしてその特徴から製法まで、かなりの正確さで初めてヨーロッパに伝えたのがマルコ?ポーロの書であった?!〈牌鳏摔膜い皮稀?3世紀(jì)當(dāng)時(shí)すでに中東イスラム諸國やエジプトにまで輸出されており、ヨーロッパにもおそらくアレクサンドリアから渡り、後に見るが5
4、0年後のボッカッチォ『デカメロン』には早速その記事が登場するのに対して、もう一つの船の構(gòu)造と技術(shù)の記事はなんら注目されるところとはならなかった。とりわけ、水密艙と呼ばれる隔壁構(gòu)造の優(yōu)れていることが認(rèn)識されて西方の船にもそれが取り入れられるのは、19世紀(jì)になってからであった。この記事がそれに影響を與えたという事実はなく、後に確認(rèn)されるに過ぎないが、先立っていたという意味では磁器よりもさらに1世紀(jì)さかのぼる。*たかた ひでき:大阪國際大學(xué)人間科學(xué)部教授〈2009.10.5受理〉133國際研究論叢 同書は、稿
5、本によって大きく內(nèi)容を異にする。本稿では、最も古いF(通稱フランス地理學(xué)協(xié)會(huì)版、ベネデット校訂本)を基本とし、多くの異文と獨(dú)自記事を含むZ(ゼラダ稿本ラテン語版)とR(ラムージォ版イタリア語集成訳)で異同を検証し、必要におうじて他の代表的なテクスト、FG(標(biāo)準(zhǔn)フランス語版)?TA(トスカナ語版)?VA(ヴェネト語版)?1P(ピピーノのラテン語版)に當(dāng)る。1.町 その書は、ヴェネツィアを発ったポーロ一行がグラン?カンの都大都(北京)に至るまでの往路、大君の使者として諸方に派遣されたという中國、そして帰路に
6、立ち寄った各地を、実際にそのとおりであったかは別として、行程順に並べるという構(gòu)成になっている。2したがって帰路の出港の地であった泉州は、中國の部の最後に位置する。まず、その町がいかに描かれているか見ておこう?!∏挨蔚亍弗榨弗濉垢V荬椁蔚乐肖蚊鑼懁吾?、次のように始まる: 「この五日行程を行くと、ザイトゥンというとても大きく立派な市がある。市には港があり、インドの船がどれもたくさんの商品や高価な商品、高い価値の寶石、大きな優(yōu)れた真珠を載せてやってくる。ここはマンジの商人たち、つまり周辺の全地3域の商人
7、たちが[やって來る]港だ。この港にはものすごい量の商品や貴石が往き來するので、見て驚くべきものである。この市つまりこの港から、全マンジ地方に行く。いいですか、キリスト教徒の地に運(yùn)ばれるためにアレクサンドゥルあるいは他の所に行く胡椒の船一隻につき、この[ザ]イトンの港には百隻來るのですよ。ここは、最も多くの商品が來る世界の二つの港の一つだからであることをご存じありたい」(F) ここまでの多くの都市では、偶像崇拝?グラン?カンの支配下?紙幣?火葬?主な産業(yè)と商品といったその町の一般的な説明がまずなされるのに
8、対して、ここ泉州ではいきなり港のことから始まる。それだけその存在が大きかった?!〈蠛訒x江のほとりにあり、その河口を取り囲むように両側(cè)に半島がせり出した深い灣の奧に位置する泉州は、天然の良港であった。唐代、東南アジアやインドとの交易が盛んになると、內(nèi)陸部の首都圏との中継港として広州?明州(寧波)?揚(yáng)州とともに栄え、宋代には都が南に遷って來たこともあってさらに発展し、元代には広州を圧倒して中國最大の港となっていた。そのことをこの作者は、西方最大